こう太のコーヒーとか

18 コーヒーを飲む人

僕は、絵になれているのだろうか。渋い表情を浮かべながらコーヒーを飲んでいる僕は、はたから見てちゃんと、絵になっているのでしょうか。

だれかの視覚のなかで、絵として成立することの意味は、僕の中ではあまりにも大きかった。
人の内面ってなんだか、他人とは切り離された宇宙空間のようだ、暗さがあって深さがあって計り知れないし得体も知れない。ほんとうのところ、じぶんですらよくわかっていないよ。
比べて外面は、直接触れることのできるような距離感で。見た目に対する評価は、じぶんと他人との最短距離だと思う、だから見たものすべてが世界そのもので、見る人によってもちろん世界は、変わる。

絵であるためには、見やすくないといけないね。
絵描きが色の置き方を選ぶように、僕たちは、時と場合を選ばなければならない。
コーヒーという色が単品で美しくても、壊すようなじぶんでいては見づらい絵になってしまう、無意味だ。

僕が憧れていたかっこよさって、結局この、絵のことで。
18 コーヒーを飲む人 僕がどんな人間であるか、僕はなぜここにいるのか、そんなことはさておき、パッとだれかの瞳に飛び込んだとき、ただ純粋に、綺麗なままで収められたい。
そういう意味で、コーヒーにずっと、憧れがありました。

文と絵 山本こう太

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