すこしまえにマスターが、陶器製のドリッパーを送ってくれました。
よって、プラスチックから陶器にレベルアップしたわけです、気持ちが跳ね上がる。
物というのは、それを所有している時点ですでに、そのものを消費しているような感覚になれる気がする。
目の前に飾られた陶器のドリッパーは、そこにあるだけで当たり前のように光っているし、いつでも手の届く距離にあってくれているだけでもう、ぼくの暮らしはひとつ、レベルアップしているような気にすらなれてしまう。
視覚で捉えたときに、インテリアとしての役割ももちろん担ってくれるのだけれど、もっとその奥、物を所有しているという安心感というか、ぼくの生活を作り出す一要素になってくれている感みたいなものがどこかあって、だから、ぼくの物になったその瞬間から、ぼくはそれを消費しているような気持ちになれる、錯覚のようだけど、掴みどころのある感覚だ。
買ったまま読まれることなく本棚にしまわれ続けている小説があったとして、すごく美しいとさえ思う。
手に入れるという行動があって、所有しているという状態があって、色付く暮らしがある。
もしかするとぼくは、実用性みたいなものをまったく求めていなくて、そばに置いておけさえすればそれで安心できてしまえるような、そういう、物との付き合い方をしてきたのかもしれない。
だから、良い物を所有したい。
そういう背伸びが、ずっと好きだ。
文と絵 山本こう太