こう太のコーヒーとか

48 それぞれのコーヒー

じぶんが美味しいと思うコーヒーが、もちろん、じぶんにとっての美味しいコーヒーだ、まぎれもない。
だれもが認めたコーヒーであろうと、どれほどの評価を得たコーヒーであろうと、じぶんが美味しいと思わなければそれはじぶんにとって、美味しくないコーヒーでしかないのだ。
つまり、人の数だけ美味しいコーヒーは、あたりまえのように存在するし、すべての人が感じるそれぞれの美味しさはすべて正しく、否定されるようなものなんてひとつもない。
みんながみんな、無意識のうちに、正しさをつくりあげている。
そういうのは楽しいし、嬉しくなる世界。

48 それぞれのコーヒー 美味しいものを美味しいというとき、「じぶんは」、という命の音が濃く聞こえてくる。
ただのじぶんの主観でしかないその感覚がすべてで、それが命そのものを肯定しているような。
だから同様に、他人の感じる美味しさを否定できるはずもなく、人は人だ、でもじぶんはじぶんだ、じぶんの命と人の命を平等に肯定できていて、こういうやりとりが勝手に勃発している。あたたかい。

ぼくは、ぼくの思う美味しいコーヒーを追いかけていきたい、同時に、だれかが思う美味しいコーヒーに触れていきたい。
ぼくはぼくの人生をゆきながら、だれかの人生に出逢いたかった。

文と絵 山本こう太

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