こう太のコーヒーとか

32 植物愛好家

また植物を枯らせてしまった。
なぜだかわからない、不思議だ、だから可愛い。
植物の本とか読むけど、ルールには従うけれど、それでも枯れてしまう、死なせてしまうんです。
そしてそれを悲しいと憂うこころはなくて、ただただ、枯らせてしまったという事実だけを俯瞰している。
仕方のないことだとかすら思いません、だから次こそはって意気込みながら通過している。

動物や赤ん坊を可愛がるのとは、あきらかに違っている。(ぼくは、動物も赤ん坊もたいへん苦手です。)
生きているものとして接している感覚よりかは、物として扱っているような部分は大きいし、朝起きてまず、葉っぱを挿してる水を入れ替えるので、ある程度、習慣をこなしている感覚もたしかにあります。
それでも、日めくりカレンダーを毎日めくるみたいな淡白な習慣とはやっぱり違っていて、そこに、かすかな命を感じているんだろうね。
植物を育てるという行為は、慈愛と習慣のはざまにあるような、そんな感じです。

32 植物愛好家 じぶんと植物、あまりに違いすぎるから、じぶんがしてやっている行為が、ちゃんと良い方向に働いているのかすらわからない。
だからすぐに枯れてしまう。
でも一方で、ものすごく元気に育つこともあるじゃないですか。そのどちらにしても、その理由はわからないままだし、曖昧なままいっしょに生きていくしかない、そして枯らせてしまっても、ぼくは生きていくしかないんです。
そういうさばさばした愛情みたいなものを、植物に対しては堂々と抱いてもいい、人に対してもそういうさばさばした部分を露呈させてしまうこともあるけれど、人には顔がついているしそれが見えるものだから、どうしてもうごめいてしまう感情がある、心の奥底のどこかしらでミクロの同情を常にしてしまっている、呪縛だよね。
対人関係においてその呪縛から開放されることはないのだ、だからぼくは植物が好きだ、べたつかない温度のまま、好きという部分だけを切り取って無責任に好きでいることが許されているからである。

文と絵 山本こう太

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