こう太のコーヒーとか

45 円柱の行方

ぼくの見ている丸が、他のだれかにとっては四角で、でもどこからどう見ても丸にしか見えなくて、それでも他のだれかにとってもそれは四角にしか見えなくて。
どこからどう見ても、というのは結局、じぶんの価値観の可動域でしかなくて、他人は基本的にその範囲の外にいるものだから、ぼくがどうあがいても見ることができなかった視点から同じものをあたりまえのように見ている。
ぼくもまた他人の価値観の外にいてせいぜい、あーこれを四角というひともいるんだなーとじぶんを納得させることはできても、それはそれ以上でも以下でもなくただ、でも丸だよねというところに帰ってくることしかできない。
いやいや四角じゃないでしょと正面から否定することをしなくても、丸に見えている以上は、四角じゃないでしょと思っているし、百歩譲って他人の価値観を受け入れる姿勢を作ったところでそれはただの妥協にしかならないよね。
だからじぶんはじぶんの目を信じることで精一杯だ、だから他人は他人で自身の目を信じることに精一杯でいるべきだと思うし、ぼくが見る丸をだれかと共有したいとすら思わない、みんな正解でいいと思うんだよ。45 円柱の行方

物事は立体的にできているから、上から見たら丸だけど、横から見たら四角、みたいなことは当たり前のこと。
それは円柱。

文と絵 山本こう太

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