なにも、書くことがないなあと思う日があって、そういうとき、そもそも僕の身体のなかには、「書きたいこと」なんてものは、なかったよな、ということを思い出すのです。
伝えたい言葉がなにもない、なにもありません。
それでも書く、書けるのだ。
たとえば、100を持っているひとがいたとして、100あることに安心するひともいれば、100しかないことが不安だってひともいるだろう。
100が1000かもしれない、10しか持っていないひとがいるかもしれない。
じゃあ僕は。
じゃあ僕は、というと、僕はずっと0なのだ、僕には、なにもない。
僕はなにも持っていない。
それでも僕はいる、僕がいる。
抱えこんだあれやこれは、いつか、無くなってしまうかもしれないから怖い。
そういうものをいつまでも、と抱いて眠る夜は、きっと空虚で、夜も、朝も、怖くなる。
それでも、僕という塊が、ここから消えることはない、明日にも明後日にも、いつまでも、僕の人生には、僕がいる。
書きたいことなんて、ひとつもありません。
だから僕は、書き続けるよ。
文と絵 山本こう太