ハンドドリップがたのしくて、毎日、淹れているのだけれど、今日は豆は何グラムにしよう、とか、今日はどれくらいじっくり時間をかけてやろうか、とか、とにかくまあなんでもだいたい美味しくなるから、間違いがないし、逆に正解もなくて、そういうのがたのしいな、と、思っているわけです。
正解はないけれど、それでもどこか、今日こそは正解を叩きだしてやるぜ、みたいな気持ちもあって、ちゃんと少年がいる、熱くなれるね。
正解がないことの本当の素敵さは、決まりがないぶんふらふらと漂っていられること、よりも、好きなところに旗を立てて、ここだ!と自由に進んでいい、というところだと思う。
ぼくはそう思う、つまり、進むことが好きだし、なんでもいいからとりあえず向かって足を動かしていたいのだ、間違いも正解も、手に取ってみないとわからない、だから進む、身勝手にさしたあの旗を目指して。
正解がないおかげで、ぜんぶが正解に見えてくる、ぜんぶを疑ってみる価値がある。
だからぜんぶを試してみたいね。
そうやっていつも、歩き続けていたいのだ。
文と絵 山本こう太