こう太のコーヒーとか

56 世界の中心

考えはじめたらいつも、結局おなじ悩みというか壁みたいな堅いものにぶち当たるのでなんというか、もしかしたら物事は球のように丸くなっているのかもしれない、考えるという行為はつまり中心をめがけて掘り進むということで、核となる真理みたいなものに出会うためには案外、どこから掘りはじめるかは全く関係がないようなそんな気もする。
なんだっていいからつべこべ言わずに、とでも言われているようだな。
なに、の部分は、中心に近づくための手段でしかなくて、ぼくはたぶんはじめから、中心にある真理を知りたかっただけだったんだと思う。
そういう興味に駆られていろんなものに触れるし、飽きたとか合わないとか言ってる場合じゃなかった、中心に、近づくために。

56 世界の中心 書いてなかったら、たぶん描いていたと思う。
もしくは歌っていたかもしれないし、踊っていたかもしれない。
それくらいになんでもよかったんだろうなあ。
でも今ぼくは書いていて、偶然でもここにいて、この場所から真下を目指している真っ最中だ。
だから今のことが好きだし、ここの場所のことが好きだ、そういう気持ちで書いている。

ど真ん中には、どんな景色があるんだろう。
どんなぼくが、そこにはいるんだろう。

文と絵 山本こう太

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